デュエルマスターズ │ プレイヤーインタビュー │ あーくん選手

By 安田 悠太郎

 

2019年度DMPランキング、暫定全国5位、東京都1位。

ランキングに取り組んでいた人間ならきっと誰もが知っている、高倍率CSを求めて全国を飛び回った男。

そう、あーくんだ。

彼は、認定ジャッジ資格の取得者だ。GPやCSでジャッジを務め、またカバレージライターとしても活動していた経歴の持ち主である。

そうした人間が競技シーンの最前線に戻ってくることは珍しい。一体、何があーくんを突き動かしたのか。

友人からは「真面目な努力家」と評される、彼の物語を聞いた。

■プレイヤープロフィール

・年齢:24歳(1996年度生まれ)
・活動地域:東京都
・公式戦績:2019年度DMPランキング5位(暫定)、2019年度日本一決定戦 出場(予定)
・所属:したい会

■競技シーンに飛び込み、ジャッジの道へ

あーくんがデュエル・マスターズに初めて触れたのは小学1年生のとき。間に離脱期間を挟み、高校2年生のときに初めて公認大会に出場している。

「実家の近くには、大会を開いているショップがずっとありませんでした。高校生の頃、ようやく近所に店が出来て、高2の冬に初めてデュエルロードに出場して……CSへの初参加は、高3のときですね」

1996年度生まれの彼が高3のときと言えば2013年、オラクルやアウトレイジが覇を競ったE3期だ。

ずっと戦績をつけている彼は、最初のCSで使ったデッキもはっきりと覚えている。どうやら、彼は几帳面な男のようだ。

「初めて出たCSは、第5回下町CS(2014/1/5)です。『墓地ソース』を持ち込みました。
当時はまだCSが少なくて、交流も参加者の目的の1つでした。Twitterでしか会話したことのない〇〇さんと初めて会える!みたいな。ばんぱくたち埼玉勢とは、下町CSをきっかけに仲良くなりました」

あーくんは下町CSへの参加を機に、埼玉勢と交流するように。月に1-2回、埼玉まで出かけては彼らと遊んでいた。

「当時の埼玉には、様々なプレイヤーが集まっていました。地元の人だけが集まっていたわけでなくて、自分のような他県民もいましたし、年齢も上から下までバラバラでしたね」

西東京の実家から埼玉までは片道およそ1時間半と、決して近い場所ではない。それでも通う魅力があった。

認定ジャッジ資格を取得したのは、埼玉勢との交流がきっかけだ。

「彼らとの付き合いが始まって2年ほど経った頃、CSを開こうという話が出たんです。関東のいろんな地域から人が集まっている集団だったので武州CSと名付け、苦労しながらも開催にこぎつけました。主催者は養分丸、ヘッドジャッジはおでんでん。2人とも、埼玉勢です」

武州とは武蔵国の別称で、東京や神奈川、埼玉のあたりを指す。

第1回の開催は2016年11月13日。定員128人の個人戦だった。
イベントが盛況に終わったことで、チーム武州は第2回の開催を検討し始める。

「2回目の武州CSに向けて準備を進めていたとき、ちょうど東京で第3回の認定ジャッジ試験(2017/2/19)が開かれるって情報が出ました。
最初に開催したとき、認定ジャッジ資格を持っていたのはおでんでんだけでした。せっかく試験があるならと思い、チームのみんなと連れ立って受験したんです」

理由は他にもある。

大阪で開催された第2回のジャッジ試験(2016/9/3)には、チーム武州から2人が参加したものの、1名が不合格となっていた。

これで俺らが受かったら、ドヤ顔できるぜ。そんな気持ちもあったらしい。

だからとんでもなく真面目な気持ちで行ったってわけでもないんですよ、とあーくんは苦笑する。

「試験には無事合格し、認定ジャッジ資格を取得できました。そして第2回武州CS(2017/3/12)のあと、デュエマGP4th(2017/4/16)にもジャッジとして参加。プレイヤーからジャッジへと活動をシフトしていくようになりました」

GP以降、あーくんは関東のCSでジャッジとして活動を始めた。カバレージライターとして活動を始めたのもこの頃だ。

必然、プレイヤーとしてCSへ出場する頻度は減っていった。

■カバレージライター

実は、カバレージライターを志したのもGP4thがきっかけだ。

「GP4thでは、川崎さんや吉田さんのような公式側の方々のほかに、小林もライターとして参加していました。それを見て、一般ユーザーでもカバレージライターになれるんだ!と思ったんです」

小林とは、コロコロチャンネルでお馴染みのバイク仙人のこと。GP4th当時はまだウィザーズに入社していなかった。
当日は一般プレイヤーとしてGPに出場し、惜しくも予選落ちしたあとにカバレージライターとして運営参加していたのだ。

「GP4thのあと、公式の方に直接お願いして、超CS in 熊本で初めて公式カバレージライターを務めさせていただきました。もともとMtGのカバレージをよく読んでいたので、デュエル・マスターズではカバレージって少ないよなと気になっていたんです」

MtGのカバレージを読んでいた理由は、テキスト文化が好きだからと語るあーくん。

10年ほど前は、情報伝達の手段はブログやTwitterなどテキストが大勢を占めていた。だがビデオカバレージに代表されるように、TCGでも動画を使ったコンテンツが増えている。

動画に対するテキストの良さとして、あーくんは「緩急をつけられる」ことを挙げる。

「生中継のような動画で伝達できる情報って、カメラに写ったものだけなんですね。それが時間軸に沿って平坦に流れる。味付けとなる実況解説についても、時間軸に縛られています。
それに対し、テキストは時間軸に依存しない凹凸をつけることができます。
例えば、選手やデッキの推しポイントに好きなだけ紙幅を割いて、濃く書き込むようなことができる。緩急をつけられる点が、強みだと思います」

「あと、これは個人的な理由ですが……自分は長い動画を見るのが苦手なんですね。動画って、どうしても受動的にならざるを得ないところが苦手で。
一方で、テキストは自分で能動的に情報を読み出せます。斜め読みして、取捨選択するようなことができる。そういう理由もあって、カバレージやブログのようなテキスト文化がもともと好きなんです。
時間があった時期には、忘れられた遺跡ってブログを全記事読んだこともあります。大変(※)でしたが……」
(※800記事以上ある)

そう言ったあーくんは、続けていくつかDMのブログ名を挙げてくれた。

「本を読むのも好きですし、DMのブログを読むのも好き。古い記事でも、思考過程が書かれたものなんかは為になります。普遍的に通用するものですから。
いま読むなら、もの置きや、あまいものが食べたいがオススメですよ!
あ、晴れた日は畑を耕しても是非!」

さり気なく自分のブログの宣伝も忘れない。読むことが大好きな彼は、もちろん書くことも好きだ。

テキストでお金を稼ぐ手段として有料noteが登場した現代において、それでも無料で記事を書く意義はあると彼は言う。

「これは個人的な考えで、他人に押し付けるつもりはまったくないんですけれど……自分は、テキストは誰でもアクセスできる状態になっていることが重要だと思っています。
自分がブログを書く際は『5年後に見知らぬ人間が読んでも為になる』ことを目指しています。それを実現する為には、無料で公開しないといけない。有料だと、5年後に読んでもらえる確率はとても低いので。
もちろん、都合で有料にすることもあるかもしれませんが……極力、無料で公開したいと思っています」

「『5年後に見知らぬ人間が読んでも為になる』の実例としては、J-Speedさんのくされ日記があります。
自分はあのブログがすごく好きで、何度も読み返しました。動画だと、見返すのは大変なので、あまりしません。テキストのメリットが出た例だと思います」

テキストへの思いを胸に公式大会やCSでカバレージライターを務めた彼は、やがて別の形で公式大会に携わるようになっていく。GP7th(2018/10/8)では、放送席の真木老師から「あそこにあーくんがいまーす!」と手を振られたこともあったらしい。

継続して大会運営に参加するようになると、経験を積むうちに必要不可欠な人材となり、ふとしたきっかけでプレイヤーから離れる……というのは、TCG界隈ではよくあるパターンだろう。

有名な例を出せば、DUEL MASTERS PLAY’Sの運営チームにはとあるCSの元主宰者がいる。

こうしたケースは、デュエル・マスターズでも実際にあるのだ。運営に深く携わってその楽しさを知ると、なかなかプレイヤーには戻れない。

しかし、2019年のあーくんはプレイヤーとして全力で活動していた。全国へ遠征を繰り返してDMPランキングを走りきり、日本一決定戦への招待権を手にしている。
何が、彼を競技シーンに引き戻したのか。

転機となったのは2018年。したい会が結成された年だ。

■したい会への加入、そしてランキングへ

「もともと、限定構築が好きなんです。それもあってエリア予選には必ず参加していたんですよ。そうしたら、2018年度のCSサポートで2ブロックの新設が発表されたじゃないですか。やりたい、と強く思いました」

2018年初頭のことを、そう振り返るあーくん。

彼は筋金入りの限定構築好きで、ドラフトのCSに参加するために岡山まで遠征したこともある。2ブロックだけはやりたい、と思ったそうだ。

そんな折、目に止まったのが2ブロック専門の調整チームのメンバー募集だった。

ヨーカンと面識はなかったが、思い切って声をかけた。

最初のメンバーは、あーくんとヨーカンの他に、こっちゃーふらわんの4人。

あーくんが事前に面識を持っていたのはこっちゃーだけで、残る2人はまったくの初対面だった。

ここで結成されたのが「2ブロック調整したい会」、のちの「したい会」だ。

当時のデュエル・マスターズの調整チームは、Heaven’s Diceのように仲の良いプレイヤー同士で結成する場合が多かった。Twitter上でメンバーを募集し、面識のない人間を呼んでチームを立ち上げるケースは珍しい。

そんなメンバー同士でも、チームは成立するのだろうか?

「結論から言うと、会ったことがない人間同士でもチームは成立します。結局、チームとして何を成し遂げたいかが一番大事です。
したい会って、当時もいまもゆるい集まりなんですよ。特定の日に2ブロックの調整をする。それだけがルールなんです。あとは何もない。目的ベースで集まったチームなので、これて十分成立するんです」
DMGP9th プレイヤーインタビュー:ヨーカン選手 | デュエル・マスターズ

“したい会”と呼ばれるチームがある。 2018年3月に関東で結成された調整集団で、現在のメンバー数は10人。立ち上げから2019年4月のGP8thまでの約1年で、3人のプロ契約選手と1人のGP優勝者を輩出している。現代デュエル・マスターズの競技シーンにおいて、大きな成功を収めたチームのひとつだと言える。 チームであるからには、リーダーがいる。 ヨーカン。 …

(デュエルマスターズ公式カバレージより引用)

したい会には、徐々に目的を同じくする仲間が増えた。結果が出るのも早かった。

まずは2018年度の関東エリア予選。途中加入したユーリが優勝し、チーム初の全国行きを決める。続いて、おんそくも2018年度のDMPランキングにて全国行きを決めた。
結成1年目で、2人を全国大会に送り込む。チームとしては十分すぎる結果だろう。

しかし、あーくん自身はジャッジ大会に出場したものの、予選落ちに終わった。

「したい会のみんなと1年間、2ブロックを調整してきたので自信はあったんです。実際、一緒に調整していたユーリはエリア予選で優勝していて。
なのに、蓋を開けてみたら自分は予選落ちでしょ。周囲のプレイヤーが全国大会に行けるのに。胸に応えました……」

勝てなかった悔しさ。友人たちが先に結果を出してしまう寂しさ。かねてから持っていた日本一への憧憬。

心に渦巻く様々な感情が、あーくんにランキングを走ることを決断させた。

■2019年度ランキングへの挑戦

DMPランキングを走るにあたり、あーくんはまず戦略を検討している。

「ランキングの走り方で意識したのは、2018年度のばんぱくの手法です。彼は遠征を厭わず、可能な限り日本中を飛び回ってポイントを稼ぎ、全国大会出場を決めていました。
印象深いのは、2018年末から年明けにかけての遠征。12月30日までは関東圏のCSを巡り、31日に京都に遠征。翌1日の朝も京都のCSに出て、それが終わったら愛知にに移動し、午後からのCSに出場……という強行日程でした」

「この方法なら努力でなんとかなりそうだと思い、自分も2019年度は遠征し続けることを決意しました。
カードゲームである以上、運が絡むことは避けられないので、できるだけ再現性のある手法を使いたかったんですね。この方法なら1ゲーム単位では運が絡むかもしれないけれど、1年というロングスパンで見たときに確実性があると考えたんです」

年間を通して高倍率の大会を狙い、遠征を続ける。確かにもっとも全国出場に近い手法に見えるが、実行は簡単ではない。
コストという壁が立ちはだかるからだ。

「ブログに書きましたが……1年やって、参加費、交通費、家賃、スリーブ代で計130万円ほどかかりました。食費やカード代も入れたら、200万円近いのではないかと思います。
遠征には新幹線を使っていました。移動にはお金をかけて、ストレスを溜めないようにすることが大事だと思います」
【DM】2019年度DMPランキング雑感 – 晴れた日は畑を耕して

200万円。おいそれと出せる金額ではない。しかも、家まで借りたと言うから恐れ入る。

しかし、声に気負いはない。必要だと思った。だからやった。そんな調子で語っている。

「さすがに実家に人を集めて調整するのは無理なので、ばんぱくと一緒に家を借りました。
借りた家……デュエマーランドと呼んでいましたが、そこでの共同生活はトラブルもなく上手くやれました。もともと彼とは付き合いも長かったですし、はっきりとした目的を共有できていたので良かったです」

平日、仕事のあとにも調整をするのなら、ショップへ行くより家を借りたほうが効率的。確かに、その通りだ。
努力を躊躇わない彼は、用意した環境を活かして夜ごとに対人練習を繰り返した。その甲斐あって、プレイスキルは飛躍的に向上した。

あーくんが目指していた、再現性のある手法とはまさにこのことだ。
誰もが使えるわけではないが、しかし誰がやっても結果が得られる手法。
結果とは、圧倒的な練習量から得られるものなのだ。

もちろん、楽なやり方ではない。あーくん自身もそのことを認めている。

「自分は確実性を重視したのでこの方法を採用しましたが、他人にオススメしやすいものではないですね。ちょっと暴力的すぎるかなと」

「ただ……そもそもランキングを走ること自体が楽ではありません。『どうしても全国に行きたい』と思える強い動機づけと、いいストレス発散法を見つけておくことが重要です」

特に、2019年度のランキングは過去と比較しても突出して異常だったと彼は振り返る。

「今年はボーダーの伸びが異常でした。月あたり2500pts稼げば安全かと思っていたのですが、途中で4000pts目標に修正しました。
終わってみれば、9月ごろに全国ボーダーを越えていたのですが……シーズン中は安全ラインが全くわからなかったですね。1年走ると最初に決めたこともあって、最後までCSに出続けました」

「ランキングを走る上では、関西が一番恵まれていると思います。店と店の距離が近く、店側の配慮もあって1日に2大会出場できる日があるんです。関西の上位陣のランキングページを見ると、ダブルヘッダーを活用していることがわかります。
関東は、どうしても店同士の距離が遠くて同じことができません。関東でランキング上位に食い込みたいなら、遠征は必要だと思います」

ランキングの集計対象期間は、およそ11ヶ月。決して短い期間ではない。
モチベーションを切らさず最後まで戦い抜いた男は、最後にこう言った。

「これまでずっとやってきた積み重ねが活きた1年だったと思います。2ブロックの調整や人との繋がり、理解があって休みの取りやすい勤め先……自分1人で出せた結果ではないですし、周囲には感謝しています」

■日本一決定戦とは、つまり

ここまでの章では、あーくんが運営からプレイヤーに戻ったきっかけ、そして日本一決定戦への参加権を獲得するまでを振り返ってきた。

彼自身が認める通り、DMPランキングを経由で日本一決定戦へ参加するのは、楽な道のりではない。

しかし、ランキングに挑戦しているのは彼だけではない。様々な競技プレイヤーが1年を通してCSに出続け、上位に食い込もうとしている。

2019年度のランキングボーダーは「異常」と言われるような上がり方をしたが、それでも様々な選手が食らいついた。

競技プレイヤーにとって、日本一決定戦はどんな意味を持つものなのか。何が、彼らを突き動かすのか。

あーくんの答えは、簡潔明瞭だった。

「全国大会に出たいのは、強いプレイヤーと戦いたいからです。少なくとも、自分はそうです」

「明確にこのことを意識したのは、やもしぃと会話したときですね。彼から、競技シーンで勝つことの意味を教えてもらったんです。

『俺が頑張るのって、強い人と戦いたいからなんだよね。勝てば強い人と沢山真剣勝負が出来る。強い人と戦うのは、何よりも楽しい』
って。いまでもはっきりと覚えています」

四国のプレイヤー、やもしぃ。ドラフトのCSに出るべく岡山へ遠征したときに、現地で会話したという。

さらに、あーくんは「2019年度ランキングのボーダー上昇は、競技の価値が認知されたからではないか」と指摘する。

「2017年度、初めてDMPランキングが施行されました。そして、ランキング枠で全国出場したdottoさんが優勝。強いと思われている人が下馬評通り優勝したわけです」

dottoはそれまで何度もCSで優勝している、まぎれもない実力者だ。そのdottoがランキングの導入によって日本一決定戦への出場を果たし、優勝した。
実力勝負のゲーム、デュエル・マスターズ。そう呼ぶにふさわしい結果だ。

「そして2018年度。ランキングの全国枠は、前年の3から10に増えました。これならいけるかも、と思う人が増えたところに、秋のGP7thですよ。あそこのTop4がすごすぎたんです」

史上初めて2ブロックレギュレーションで開催されたGPである7th。
そこでTop4に集ったのは、えんがわ、ギラサキ、ZweiLance、そしてdottoだった。

当時はまだ、2ブロックに対するプレイヤーの信頼が薄かった。そこに「Top4が4人とも実力者」「Top4にデッキが3種」という事態が発生した。
(同じ調整チームからデッキをシェアされていたギラサキ、えんがわが『白零サッヴァーク』、ZweiLanceが『デ・スザーク』、dottoが『青赤緑チェンジザ覇道』)

そして、あーくんが言うように、準決勝以降の盛り上がりは目を見張るものがあった。
DM史:零れた水は(GP7th/えんがわ/HARU/ ZweiLance/ dotto)

「2018年度のエリア予選では、勝ち切れずに悔しくて泣く選手がいたんですよね。自分もそうでした。
さらにチーム文化も育っていて。一緒に調整した友人が勝つ嬉しさがあり、でも一緒に行けない悲しさがある。
そうした感情は『このゲームは実力勝負』という前提からくるものです。実際、2018年度の日本一はギラサキ選手でしたしね」

ギラサキもまた、実力者として知られる選手だ。

2017年度はDMPランキングの招待枠で、2018年度はGP7thの準優勝で、日本一決定戦参加を果たしている。

「実力勝負とはつまり、頑張っている人が報われるようなゲームだってことです。
ランキング以前は、エリア予選のようなワンデイトーナメントしか全国大会への参加手段がなくて、どうしても『運ゲーじゃない?』と思われたりしていました。そこが変わったのは、非常に大きいと思います」

実力勝負。努力が報われる。

頑張れば、最高の舞台で強者と戦える。

2017年、2018年の日本一決定戦を経て、競技プレイヤーたちはそう確信した。

そして2019年度。物語はあの「異常」と言われたボーダーにつながっていくのだ。

「報われるって、つまり……界隈の内部で『あの人は強い』と盛り上がって終わるだけではなくて、外部から見てもはっきりと『あの人は強い』と認められる状況のことなんです。
そうなると、内部のプレイヤーは強者に対してより一層、憧れる。それに影響されて、外部でももっと認められる。そんな好循環の結果として現れたのが、2019年度のランキングにおける熾烈な争いなんです」

日本一決定戦という最高の舞台に立ちたい。あの場所で強者と戦いたい。
きっと彼らはそう願い、ランキングに参戦してきたのだろう。

それは、あーくん自身の経験からくる揺るぎない確信だ。彼もまた、強者に対して憧れを持っている。

「ずっと、dottoさんに憧れていました。岡山へ行ったときに、飲み会で初めて話させていただいて……今年、ランキングでライバルとして戦えて嬉しかったです」

そう、まだ「今年」は終わっていない。コロナウィルスの影響で2019年度日本一決定戦は延期されており、いまだ開催日程の見通しが立たない状況にある。

だから、あーくんもまだ、先のことは考えていない。それは、今年の日本一が決まってからだ。

デュエル・マスターズ史上、最大の人数が集う2019年度日本一決定戦。努力が報われる最高の舞台で栄光を手にするのは、努力を躊躇わないこの男かもしれない。

■あとがき

今回は、あーくん選手にインタビューをさせていただきました。
本編中に出てくる古めの話は解説が必要かと思うので、少し昔の話を。

冒頭、あーくん選手が初めてCSに参加した頃の話です。CSが毎週のように開かれている現代だと、「交流」という言葉がピンとこないかもしれません。

2014年初頭、競技的な対戦ができる場所は限られていました。2013年に開かれたCSの数は、57。ちなみに2019年のCS開催数は、全国で2000回を超えています。
いまと比べると、CSサポート成立以前の時代って全然CSがなかったんですね。

なので下町CSのような、定員200人前後の大規模CSが開かれるとなれば、県外、あるいは地域外から遠征してくるプレイヤーがたくさんいました。
大規模イベント、現代でいうGPや超CSぐらいの立ち位置にいたわけです。

(…実際にはちょっと言い過ぎですが、遠征者や交流目的の参加者の割合を考えると、現代で相当するのはGPあたりかなーと思います)

では、CSの立ち位置はいつ頃から変わりはじめたのでしょうか?
実は現代の競技シーンにつながる転機となったのが、2014年なんです。

2014年は、現在のCSサポートの前身こと「チャンピオンシップサポートシステム
」が登場した年です。サポートを受けたCSの上位入賞者に《百万超邪 クロスファイア》のWINNERプロモなんかが配布されていました。

2015年になると現在のCSサポートの運用が始まり、《「必勝」の頂 カイザー「刃鬼」》なんかのCSプロモが配布されるように。

これに伴ってCSが激増し、現代の「毎週どこかでCSが開かれている」競技シーンへと繋がっていったわけなんですね。

また、いまでこそCSの主催者となるのは店舗がほとんどですが、あーくん選手がCS参加を始めた頃は、個人主催者が多かったのです。

友人同士でCSを開催する……という流れ、昔はまあまあありました。その時期の人たちの多くはいま、認定ジャッジとして活躍されています。シルバージャッジの山田さんなんかがそうですね。

さて。

今回インタビューさせていただいた あーくん選手とは、GP9thの取材でお声がけさせていただいたのが初対面でした。

当日は時間の関係もあってあまりしっかりとは話せず、きちんとお話しさせていただいたのは今回が初めてです。

インタビューさせていただいた感想は、まさに「真面目な努力家」でした。目的がはっきりとしていれば迷わず実行できるタイプで、自身の思考を言語化する能力も高い。

ぜひカバレージライターとしてご活躍いただければ……と思いましたが、GPは引き続き出場されるそうです。残念。

今後ともあーくん選手が競技シーンで活躍されるように、そして2019年度日本一決定戦で納得のいく結果を残されるように祈っています。


– 記事内選手画像およびサムネイル画像はデュエルマスターズ公式カバレージより引用しました –



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