デュエルマスターズ │ プレイヤーインタビュー │ dotto選手

by 安田 悠太郎

「もう1度、あの場所に立ちたい」

2017年度の日本一決定戦後、大会を振り返ってそう言った男がいる。

dotto

2017年度の日本王者だ。日本一の座に輝く以前からその名と実力はよく知られていたが、不思議と公式タイトルに縁がなかった。
しかしDMPランキング導入をきっかけに自身初の全国大会出場を果たし、そのまま優勝した。誰もが知るストーリーだ。

日本一を経験したプレイヤーの多くは、ゲームから離れてしまう。優勝したその場で引退を宣言した選手すら存在する。
けれど、dottoは違った。モチベーションを失うことなく、翌年もDMPランキングに全力を傾け、再びランキング枠で招待される。
連覇こそ逃したものの、2019年もまたDMPランキングのポイントを稼ぎ、現在は暫定で全国4位と招待圏内に収まっている。

彼のモチベーションの源泉は何か。また、圧倒的な勝率の高さを保つ実力を、どうやって維持しているのか。
「調整環境」「モチベーション」をテーマとした質問をdottoに投げかけると、彼はそれをきっかけに様々なことを話してくれた。
戦い続ける男は普段、何を考えているのか。その一端を、皆さんにもお見せしよう。

■プレイヤープロフィール

・年齢:26歳(1993年度生まれ)
・活動地域:広島県→大阪府
・公式戦績:2017年度DMPランキング1位、2017年度全国大会優勝、GP7th 4位、2018年度全国大会出場
・所属:CardRushPros、マラかっち
・その他:通称” 魔王 ”

■王者の経歴

本題に入る前に、まずはdottoの経歴を確認しておこう。

デュエル・マスターズを始めたのは小学3年生、DM-5から。いわゆる引退は1度もなく、現在まで継続して遊び続けている。
中学時代にCGI ex(当時存在したネット上の対戦サイト)に触れて” ガチな ”考え方を知り、より高度な戦いを求めてDM vault(現在も存在するネット上の対戦サイト)へ登録。
大学入学後からは、CSに出場するようになった。

CSではよく上位入賞しており、2009年〜2017年のCSを対象としたDM:Akashic Recordのランキングでは4位を記録。実力の高さが伺える。
それほどの力を持ちながら、不思議と公式タイトルには縁がなかった。E3期のエリア予選では「手札に高コストカードが溜まり続け、予選ラウンドでプレイ出来たカードは0枚」という信じがたい負けを経験している。
オカルトじみた言い方になるが、なぜだか公式大会と相性が悪かったのだ。

しかし2017年に導入された、CSの戦績を対象とするDMPランキングが転機となる。「ランキングの上位3位に入れば全国大会の権利を付与」という過酷な条件をクリアし、そのまま日本一のタイトルを獲得。
2011年度のあばばば以来、実に6年ぶり2人目の関西王者となった。

翌2018年のランキングでも上位に入り、全国大会に出場。さらにGP7thでは4位、GP8th、GP9thはいずれもベスト16と、高い平均勝率を保っている。

戦い続けるモチベーション、そして勝ち続ける実力を維持するために、彼はどのような方法を使っているのだろうか?

■dottoが考える調整環境の作り方

日本一を目指して競技プレイに打ち込むプレイヤーが増えた昨今、特に地方で直面しやすい課題がある。

「結果を出すための調整環境は、どのように作れば良いのか?」

勝つためにはデッキの調整が必要で、調整するためには相応の環境を作らねばならない。
だが、周囲に競技志向のプレイヤーがいるとは限らない。都市圏から離れた場所などは、今もってその傾向が強い。

大学時代のdottoは、あまりプレイヤーの多くない地域に住んでいた。その頃から勝ち続けている彼は、どうやって調整環境を作ってきたのだろうか?
疑問をぶつけてみたところ、こんな答えが返ってきた。

「以前は、その時々で調整しやすい、近くにいる人と調整していました」

近くにいる人。
文字通り、普段から調整できる距離にいる人を意味するらしい。相手は誰でもいい、ということである。

「大型大会の前だけではなく、普段からその人と回すんですね。だから、大型大会の前には調整できる環境が整っているわけです。普段からコミュニケーションを取っていますから」

しかし、本当に誰でもいいのだろうか。一般には” 強いプレイヤーと組んだ方が強くなれる ”と信じられている。と思う。

「調整相手によっては、自分の負担が増えることもありますよ。相手が何も知らない状態のプレイヤーなら、自分が事前に調べて相手に教えられるようにしないと。一緒に強くなれるように。
調整の場で確認したいことは、デッキの動き方です。相手のデッキが何であれ、対人戦をこなせば他のデッキと対戦する時のプレイについても大まかなイメージが持てるはず。
もちろん100%の精度とはいきませんが、どのデッキでも良いから誰かと対人戦をこなして感覚を掴むことが大事だと自分は考えています。
まとめると、相手が誰でも自分さえちゃんとしていれば大丈夫です!」

自分さえちゃんとしていれば、と聞くと、1人回しでも良いように聞こえる。しかし、最終調整は対人でなければいけないとdottoは語る。

「1人回しだと、自分の主観の中だけで完結してしまいます。実戦でなければ、デッキの細かいところまでは分からない。それに“ 読み ”と言うのは対人戦特有の要素なので、他の人と調整しなければいけないんです。
また、誰かがきっと良いデッキ案を持ち込んでくれるだとか、そういうことは当てにしていません。自分が調整環境を作りたいと望むのなら、自分が頑張らないと」

自らデッキを作り、持ち込み、試し、時には壊す。相手の責務だ、とは考えない。
こうした方法論は、自身の経験をもとにたどり着いたものだと言う。dottoはデッキだけでなく、調整方法をも調整してきたのだ。

けれど、彼は既に社会人。働いている都合上、デュエル・マスターズに使える時間は、どうしたって学生時代よりも減ってしまう。
必然、それに応じて調整方法も変化している。

「2017年度の日本一決定戦に向けてはあばばばさんと、2018年のGP7thの頃はけみーさんと回していました。
彼らは、ものすごく高い技術を持っているプレイヤーです。回しているだけで、そのデッキに必要なカード、不要なカードが分かります。だから、少ない時間でも効率良く結論に辿り着ける。
ただ……あばばばさんは全国大会の後、中部地方へ引っ越してしまいました。けみーさんも、今は” けみくろ放送局 ”というYoutubeチャンネルを運営している関係で、なかなか調整の時間を取れなくて。自分も動画撮影にたびたび協力しているので、互いの空き時間が噛み合うと撮影時間になってしまうんですよね」

開設1周年を前にして、けみくろ放送局のチャンネル登録者は1つの目安である5000人を超えた。友人として、dottoは彼らに協力している。

そういうわけで、GP7thを終えた後のdottoは新たな調整環境を探す必要に迫られていた。
そんな時、出会ったのがマラかっちだった。

■謎のDiscord通話集団、マラかっち

「あの通話グループに入ったのは、1年ほど前です。入りたいと言って入れるものではなく、既存メンバーが仲の良い人を勧誘してメンバーを増やしていくグループです。
5年前にも入っていた時期があったのですが、その時は全然デュエル・マスターズをプレイしていない集団でした。デュエル・マスターズを通じて知り合った人たちが別のゲームで遊ぶ場所、という感じでしたね」

昔から競技に力を入れていたdottoは、1度グループから離脱。しかし1年前に再び入れられた……ということらしい。
またか、と思った彼だが、戻ってみて驚いた。なんとマラかっちは、デュエル・マスターズを猛烈にやり込む集団へと変貌していたのだ。

◆ドラえもん君が加入してから変わったみたいですね。彼の熱意に引きずられ、ベースメンバーの多くが競技デュエル・マスターズに力を入れるようになりました。
他に、文字通り朝から晩まで……いや、晩から朝まで調整し続ける強靭なtakiさんの存在も変化の理由として挙げられます。彼ら2人が、マラかっちを変えてしまったんです」
(参考:プレイヤーインタビュー │ taki選手

四国から関西へ移住し、競技シーンに参戦した◆ドラえもん。北海道在住ながら関東、関西へ精力的に遠征し、全国大会出場を狙うtaki。
2人の存在が、マラかっちを変えた。365日、年中無休で誰かがデュエル・マスターズの話をしている恐るべき通話集団へと。

彼らの激烈な努力は、当然のように結果へつながっている。
今年、GPでの上位入賞によって、セキボン よしゆきイヌ科の3人が全国大会への出場を既に確定させた。
それだけではない。dottoユーリ◆ドラえもん、更にGP9th後に加入したカイザは、ランキングでの全国大会出場権付与圏内であるTop15を狙える位置にいる。

これらに加えて、エリア予選がまだ残っている。二十数人のメンバーの中から、いったい何人が全国大会へ歩を進めるのだろうか。
そんなマラかっちとの出会いは、dottoにとってまさに天祐だった。

「自分のような人間にとっては、理想的なグループでした。そのまま入り浸りになっちゃって。調整相手を探していたタイミングでの加入でしたからね。
就職してからは、大学時代と違って自分が多めに負担を引き受けられる状態ではありませんでした。効率重視にならざるを得なくて、だからこそ最高の相手がいないと良い結果につながりにくい。あばばばさんやけみーさんはとてもデッキのチューニングがうまかったので、本当に助かっていました」

基本的には強い人と回す方が楽、とdottoは断言する。しかし、常にそんなプレイヤーが近くにいてくれるわけではない。だから、時には” 自分が相手を強くしていく “という選択を採る。
他責ではなく、自責。それが彼のやり方なのだ。

プレイヤーの強さ

これまで多くの選手と接してきたdotto。プレイヤーとしての強さは多角的なもので、「自分でデッキをビルドできるか」「デッキのチューニングが得意か」など様々な観点があると指摘する。
そんな彼が最近、推しているプレイヤーは、先述した◆ドラえもんだ。

「◆ドラえもん君は、山のようにデッキ案を考えては試すタイプ。昔の自分に似ているんです。
彼が関西に来たのは2017年。高い潜在能力を持っており、成長したら強力なライバルになると感じました。そこからだんだん話すようになって……去年ぐらいですかね、彼のことを応援したいと思うようになりました。
今はちょっとまだ取り組み方が不器用ですが、経験を積んでいくうちにアイデアを結果へ反映しやすくなっていくのではないでしょうか」

今年の◆ドラえもんの順位は、京都府で暫定2位、全国で暫定15位。全国大会出場は射程圏内だ。
彼の1つ上に位置する京都府1位のさば猫との差は、わずかに数十ポイント。全国ランキングでも順位は1つ違いで、熾烈なデッドヒートを繰り広げている。
昨年はなかなかCSに参加できなかった◆ドラえもんだが、雌伏の時を経て機会に恵まれ、その実力を発揮しているのだ。

結果が出つつあるのは、ランキングだけではない。クロニクルデッキ発売後に広まったデッキタイプである『デッドダムド』を最初に入賞させたのも、◆ドラえもんだ。
発売日翌日のCSで使用し、なんと優勝。アーキタイプが知られるきっかけになった。

 

当たり前だが、発売されたばかりのカードを使いこなすのは簡単なことではない。◆ドラえもんは独特な調整方法を採用しているとdottoは話す。

「自分の場合、発売前のカードを試すのは使えるようになる前の週からです。でも◆ドラえもん君は、テキストが判明したその日から試し始めている。
怖いですよね。だって、その週のCSではまだ使えないカードですよ。目先の勝利は投げ捨てているってことです。こう言うのもなんですが……狂気じみていて、怖い」

もちろん◆ドラえもんとて、なんの打算もなしにそんなことをしているわけではないはずだ。dottoは「自分の長所と短所が分かっているのだろう」と言う。

「自分や◆ドラえもん君が得意なのは、新弾発売直後の環境です。逆にメタゲームが固まって来てからは、やや苦手。彼とはそう話しています。
自覚があるからこそ、極めて早い段階から新カードを試しているのでしょう。彼の方法なら発売週でも質の良いデッキを持ち込むことが出来ますし、結果にもつながる。正直、すごいと思います。自分は、そんな極端な調整をしたことはありません。
毎週末、CSに出なければいけない現在の競技シーンにおいて、新しいデッキを直前の平日だけで詰め切るのは確かに無理があります。彼のそういう部分は、見習うべきだと思います」

切れない気持ち、落ちないモチベーション

質問に対して的確に回答してくれていたdottoだったが、話題がモチベーションに及ぶと、彼から「不思議ですよね」という発言が飛び出した。

「モチベーションは……不思議ですよね。何か特別なことをして気持ちを保っているわけではなくて、別に普通だと自分では思っています」

しかし、「どうやってモチベーションを維持しているのか」という質問の意図については、理解を示してくれた。

「日本一を取った後、気持ちに区切りがついちゃう方はいますよね。過去に頂点に立った方の多くは現在の競技シーンから離脱されていますから、モチベについての質問が出るのは分かります。離れた後に気持ちが戻って、今は復帰されている。そういう方もいらっしゃいますしね。
自分が初めて全国大会を経験したのは、2017年度でした。あの日は本当に楽しかった。全国大会は、普通の大会とは違う場所なんです。中でも決勝は別格。何度でもこの舞台に立ちたいと強烈に思いました」

当時、dottoは《Dの牢閣 メメント守神宮》入りの『白赤青バスター』を持ち込み、優勝した。
その時の記憶が、今でも彼の中に息づいているのだろう。記憶は情熱となって、彼を前へと進ませている。

 

「勝ちたいですよ。いくらでも勝ちたい。だから、モチベーションは落ちない」

去年を振り返ると良くランキングを走ったよなと思いますけどね、とdottoは笑う。流石に全国優勝直後の3月前半は少しだけCS参加頻度を落としたものの、結局、後半からはみっちり出場した。

「大変ではあります。でも、デュエル・マスターズは楽しいから続けられている。朝5時
まで調整する日もありますが、途中で集中力が落ちることはありません。自分だけじゃなくって、マラかっちのメンバーは大体そうですよ。takiさんなんかが良い例です。
なかなかそんな人たちとは巡り会えません。マラかっち以外だと、大学時代の調整相手だったPRIDE君ぐらいかな。彼と回していると、気づいたら朝だった、とか。そんなことがありました」

■デュエル・マスターズが秘める可能性

DM:Akashic Recordのランキングで6位を記録した実力者、PRIDE。彼は既にデュエル・マスターズの競技シーンから離れ、DCGへと戦場を移している。
dottoには、そうした考えはなかったのだろうか。

「うーん……率直に言うと、気持ちがブレた時期は一瞬だけありました。DMPランキングができるより1年前、社会人1年目の時です。
時間に余裕のある学生時代のうちに日本一を経験しておかないと、と当時は思っていたんですね。でも、達成できずに社会人になってしまった。まだ競技環境が整備されていない時代でしたし、このまま続けていて大丈夫だろうかと悩みました。
そんな折、MtGをプレイしている方から誘われて、FNMに出場したことがありました。ランキングの創設が後1年遅かったら……きっと、デュエル・マスターズから離れていたでしょうね」

“ 魔王 ”と呼ばれた男にも、迷いの時期があったのだ。dottoは続けて、1人の選手の名を挙げた。

「きっと、鮭くれーぷさんも同じ悩みを持っていたのではないかと思うんです。かつてのデュエル・マスターズの競技環境に不満を持ち、自分の力を100%出せる場所を探して出て行ったのではないかと。鮭さんが辞めたのは、ランキング創設の2年前でしたから……」

鮭くれーぷ。
2018年のMtG日本選手権で優勝し、行弘賢、難波直也とともに日本代表としてワールド・マジック・カップを戦った、森山真秀のことだ。

DMプレイヤー時代、CS不毛の地である島根県で活動していた彼は、戦える場所を求めて遠征を繰り返した。そして2015年までに、実に12ヶ所の都道府県でTop8入賞を果たしている。当時の最高記録だ。
それほどまでに競技DMに入れ込んだ男は、MtGへ行ってしまった。

日本選手権で優勝した時、森山は” まつがん ” 伊藤敦からインタビューを受けている。

伊藤の「長年遊んだゲームから新境地に踏み出すというのは勇気が要ることだと思うのですが、マジックのどういった要素に惹かれたんでしょうか?」という質問に、彼はこう答えた。

「何と言いますか、大きな舞台への憧れがあったんですよね。それにマジックは世界規模なので、今回のようにグランプリに出場すれば色々な国の人と仲良くなれたり対戦する機会があったりするのがとても魅力的です。あとやはり歴史が長いので、仕事上知り合った人とかが『昔やってたよ』って言ってくれて話の種になったりすることがあるのも良いですね」
(引用元:【プレイヤーインタビュー in 静岡CS】dottoさん
DM史:零れた水は(GP7th/えんがわ/HARU/ ZweiLance/ dotto)

大きな舞台への憧れ。当時の競技デュエル・マスターズは、当時の日本一決定戦は、大きな舞台にはなり得なかったのだろう。
そしてきっと、dottoも同じことを思っていた。
だが、今は違う。

ひょっとしたらMtGの方が良いのかも知れませんけどねと前置きしつつも、dottoは力強く言う。

「今のデュエル・マスターズは、昔では考えられないこと、起こり得なかったことが起こるようになってきています。例えばカードショップとプロ契約だなんて、かつてはあり得なかった。プロになる、なんて言おうものなら笑われていたでしょ。
でも、もう違う。プロプレイヤーは夢じゃない。今ここにある現実です。
これからデュエル・マスターズがどのような道を歩んで行くのかなんて、誰にも分からない。自分は、信じてみても良いんじゃないかって思っています。デュエル・マスターズの可能性を」

プロとしてやるべきこと

GP9thの翌日、10月6日。
株式会社RUSHの所属プロであるdottoは、DM史上初のイベントであるプロリーグに参加して来た。各社の所属プロがチームを組んで集い、最強のプロを決める戦いだ。
dottoにとっては、プロリーグもまた特別な舞台になった。

「CSやGP、全国大会……いずれとも違う、比べられない特別な感覚を味わいました。
ああいう舞台で選りすぐりの強豪たちと戦えるのは楽しいですね。互いにリスペクトし合える実力者たちとの対戦ですから、もう誰と戦っても楽しい!良いイベントだったと思います。ただ、ネットでの生中継は欲しかったです」

1回目ということもあり、全てには手が回り切らなかったプロリーグ。
だが、2000円のプラチナチケットは販売開始から15分ほどで売り切れた。当日は無料席も埋まり、立ち見が出た。
きっと、これからより良いものになっていくだろう。

そんなプロリーグは、他地域のプロたちと交流する絶好の機会だった。プロ契約を打ち出している企業は、関東だけではなく中部、北陸にもあるのだ。

「プロ契約している人たちは、ちゃんと未来を見ていますね。次々と入ってくる後続のプレイヤーに、何を残せるかが重要なので。若い世代が続けてくれないとダメでしょう。
プロには、いろんな形があると思います。 ZweiLanceさん、 フェアリーさんのような、メディア方向にとても強いプロとか。 おんそく君のような、演者としての能力を持っているプロとか。自分は、プレイヤーとして勝ち続ける強さを特に重視して活動しています。
今後は、プロが活動する環境を整備していきたいですね」

優先順位は勝利の次ぐらいですが、と冗談めかして話すdotto。
未来。次世代。自分のことだけでなく、競技デュエル・マスターズ全体のことを考えて行動している。

「デュエル・マスターズのプロには、まだ明確な定義はありません。企業や選手によって、様々な形があると思います。
個人的には、プロとしてやっていくには、何か特化したものがあると楽かなと感じます。プロを目指す人は、まず何かしらの能力が突出したプレイヤーを目指すのが良いのではないでしょうか。
昨今はカバレージなど取材されることも増えましたし、そうした場ではキャラが立っている人ほど盛り上げに貢献しやすい。これが自分だ、というものを極めましょう!」

あとがき

dotto選手を初めて取材させていただいたのは、2016年のこと。以来、大舞台での戦いの後に度々お話を伺わせていただいており、今回は4回目となる。

いくら時間を空けているとはいえ、流石に4回目ともなると話すことがないのではと危惧したが、話し始めてみれば杞憂だった。こちらが質問するたびに、さらに踏み込んだ深い答えが返ってきて、非常に密度の高い時間を過ごさせていただいた。
結果、記事は本連載最長の8000文字となってしまったが、ご容赦願いたい。

さて、GPが始まってからのここ4年で、競技デュエル・マスターズは大きく変化した。本文中でdotto選手が指摘している通り、まさに「何が起こるか分からない」ホットなゲームだ。
実際、筆者にしても、こうして仕事としてインタビューを発注していただける日が来るとは思っていなかった。

以前に個人サイト「DM:Akashic Record」をともに運営していたメンバーのうちの何人かは、現在、カードゲーム関連の仕事をするに至っている。あるメンバーはメーカー社員として、あるメンバーは配信者として、またあるメンバーは自分と同じくライターとして。
筆者がサイト運営を始めた2014年には、こんな時代が到来するとは想像も出来なかった。

これを読んでいるあなたにも、ひょっとしたら何かのチャンスが訪れるかもしれない。
未来など、誰にも分かりはしないのだから。

なお、dotto選手の以前の取材記事はこちら。筆者の個人サイトとなるが、彼の経歴、そして活躍ぶりを知りたいという方は、ぜひご一読いただきたい。

・DM史:15年間を礎に
・DM史:零れた水は(GP7th/えんがわ/HARU/ ZweiLance/ dotto)

※プレイヤー画像は “デュエル・マスターズ 超CSⅢ テキストカバレージ” より引用しました。

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