デュエルマスターズ │ プレイヤーインタビュー │ライカル選手
by 安田 悠太郎
あの男が、戻ってきた――。
競技DMの黎明期である2003年〜2007年は、関東黄金時代と呼ぶに相応しい。公式大会上位に多くの関東勢が食い込み、また” 絶対王者 “hiroが3度、頂点に君臨。
他にもK.BLUE、ささぼーなど数多の有名選手が関東から輩出された。
今回、インタビューさせていただいたライカルは、あの時代からプレイを続けている伝説的な選手だ。黎明期のみならず、2007年以降のCS時代にも多くの戦績を残している。
彼の活動範囲は、プレイヤーにとどまらない。2013年、2015年にはCSを主催。史上初めてユーザーが運営サイドに参加した2015年のGP1stでは、認定ジャッジ組織発足前であるにも関わらずジャッジとして集まった” 始原の29人 “の1人として大会を支えた。
彼は、2017年1月の第2回レジェンドCSを最後にゲームから離れていた。しかし、2019年4月のGP8thで2年ぶりに復帰。今ではコレクターと競技プレイヤーを兼ねて活動しているという。
現在のライカルを、取材させていただいた。
■プレイヤープロフィール
・年齢:29歳(1989年度生まれ)
・活動地域:神奈川県
・公式戦績:
エターナルリーグ日本一決定戦追加予選 1位
エターナルリーグ日本一決定戦 出場
スプリングチャレンジバトル関西大会2005 2位
スプリングチャレンジバトル中部大会2005 1位
ジェネレートリーグ東北エリア予選4位
ジェネレートリーグ関東エリアB予選4位
ジェネレートリーグ関東エリアC予選3位
ジェネレートリーグ中国エリア予選3位
アフタージェネレートリーグ関西A大会3位
アフタージェネレートリーグ中部大会 2位
など
・その他:DEMOカードなどを所有する国内トップコレクターとしての一面を持つ
ライカルという男
現在のライカルの話をするには、まず前提としてかつてのライカルを物語らねばならない。
彼が競技デュエル・マスターズに触れたのは、偶然だった。
DM-1が発売された2002年5月、弟と一緒にスターターデッキを買った。最初は集めるだけで、プレイするようになったのはDM-5から。
公式大会になど、興味を持つべくもない。2003年に初めて日本一決定戦が行われたが、ライカルには縁のないもの。
の、はずだった。
そこに、偶然が作用する。
当時、ライカルが通っていた中学の先輩が、第1回日本一決定戦のオープンクラスで準優勝した坂田と知り合いだったのだ。
坂田との繋がりをきっかけに、ライカルはレギュラークラスの優勝者、hiroとも遊ぶようになる。
そして、彼らとともに公式大会へ出場するようになった。
「初めて出た公式大会は、2004年のスプリングチャレンジですね。当時は、エリア予選とは別に、日本一決定戦につながらず単体で完結する公式大会が開催されていたんです。
まだ《無双竜機ボルバルザーク》が出る前で、《機怪人形ガチャック》入りの【アクアンブラック】が強い環境でしたね。【除去コントロール】も使われていました」
以降、2016年まで公式大会への出場を継続。2012年は仕事の関係で出場できなかったものの、長きに渡って現役生活を続けた。
CSへの参戦
デュエル・マスターズで初めてCSが開催された2007年以降、ライカルはCSにも継続的に出場している。
CS黎明期、競技シーンの最高峰として認識されていた関東CSで2度、上位入賞を果たした。特に第2回関東CSにおける、” 師匠 “いわなとの決勝戦……いわなの【ボルメテウスコントロール】VSライカルの【フェルナンドコントロール】のマッチアップは語り草となっている。
関東CSが会場の都合で開催出来なくなった後、競技イベントのトップと目された静岡CSでは、2014年に優勝を経験。
運が絡んだのは、始めるきっかけにだけ。残りは全て、実力で埋めてきた。
競技プレイヤーとしてのみならず、イベンターとしての活動実績も豊富だ。おやつCS関東大会でヘッドジャッジを務めた経験をきっかけに、横浜GPを主催。
GPへはジャッジとして参加し、1stではサブリーダーを、2ndではジャッジリーダーを務めた。
が、そんな彼は、2017年初頭の第2回レジェンドCS出場を最後に、ゲームから離れる決断をする。
復帰、そしてコレクターの道へ
あれから、2年。ライカルは競技シーンに戻ってきた。
「離れたことに、明確な理由があるわけではないんです。同じことしかしていなくて良いのかという迷いに、仕事の都合が重なってとか、そんな感じかな。
復帰したのは、休止期間中にたまたまDEMOカードを手に入れたことがきっかけですね。それで、コレクションに興味を持ったんです」
ライカルが初めて競技シーンに触れたのは、偶然の成せる業だった。復帰もまた偶然だというのは、必然なのかもしれない。
現在はゲームとの付き合い方を変え、競技半分、蒐集半分だという。
せっかくの機会なので、彼が集めたコレクションを紹介していただくことにした。
こちらはDEMOカード。2003年に行われたインビンシブルリーグ日本一決定戦の優勝者、準優勝者に配られたカードセットだ。当時はクラスがオープン、レギュラーに分かれていた関係で、4セットが存在する。
ただしこのカードたち、ナンバリングがされていない上、日本一決定戦の記録が残っていない関係で、公式には存在しない扱いだ。
「1セットは、もともとhiroが受け取ったものです。彼は良く遠征のために車を出してくれた方に売っていて、自分がその方から買い取りました。もう1セットは、おそらくレギュラークラスで準優勝した選手のものだと思います。
残る2セットの所在は、現状不明です。ただ、以前に自分がDEMOカードの所持を公表した際、状態の悪いDEMO版《ゼータ・トゥレイト》が買取に出されたことがあったようです。
もう、完全品はこの2つしか残っていないのかもしれませんね」
気になるお値段をこっそり聞いてみたところ、「正確な値段はちょっと…」と苦笑されてしまった。
「続いて、こちらが過去の上位入賞のプレート。エリア予選入賞や、日本一決定戦で上位入賞した選手に配布されたものです」
並びは以下の通り。なお()内は配布イベントを、プレートの金/銀/銅は、各大会の優勝/準優勝/3位を示す。
最後段:左から
《銀河大剣 ガイハート/熱血星龍 ガイギンガ》金プレート(2014年度エリア予選)
《爆竜 GENJI XX》金プレート(2010年度エリア予選)
《闘将銀河城 ハートバーン/超戦覇龍 ガイNEXT》金プレート(2017年度日本一決定戦)
中段後:左から
《禁断~封印されしX~/伝説の禁断 ドキンダムX》銀プレート(2016年度日本一決定戦)
《無双竜機ボルバルザーク》 (K.BLUE選手サイン入り)
《天雷王機ジョバンニX世》 (パタ選手サイン入り)
《ガイアール・カイザー》金プレート(2011年度エリア予選)
中段前:左から
《闘将銀河城 ハートバーン/超戦覇龍 ガイNEXT》銀プレート(2017年度日本一決定戦)
《燃える革命 ドギラゴン》銀プレート(2016年度エリア予選)
最前段:左から
《武闘将軍 カツキング》銀プレート(2013年度エリア予選)
《黄金世代 鬼丸「爆」》銀プレート(2012年度エリア予選)
《禁断~封印されしX~/伝説の禁断 ドキンダムX》銅プレート(2016年度日本一決定戦)
《武闘将軍 カツキング》銅プレート(2013年度エリア予選)
「日本一決定戦の賞品など1枚しかないタイプのものは、もらった選手が手放していないことがほとんど。直接交渉して、買い取らせていただいています。
続いて、GPプロモ。まだ全部は揃っていないんですが、少しずつ楽しみながら集めています」
「前面から中段後ろに飾ってあるのがCSプロモ。使用することも想定して、複数集めています。
一番奥にあるのは、いわゆる関係者プロモ。2015年までは公式関係者と一部店舗にしか配布されていなかったのですが、2016年の《Forbidden New Year》から公式大会に参加した認定ジャッジにも配布されており、入手が少し楽になっています」
別段、得意がることもなく、のんびりと収蔵品を紹介するライカル。
CSプロモに、GPプロモ、関係者プロモを揃えているコレクターは他にもいるだろう。しかし、DEMOカードどころか、世界に1枚しかないタイプのプレートも入手していたとは!
特にDEMOカードなど、存在自体が不明瞭なものの入手には相当苦労したはずだ。彼が競技プレイヤーとしての活動を通して得た知名度が無ければ、この領域に達することは出来なかっただろう。
資金力、蒐集量、所持するコレクションの希少度……どれを取っても、ライカルは、デュエル・マスターズでは最高峰のコレクターだと断言できる。
ところが。
「まだ、あるんですよ」
これで終わりではなかった。
微笑むライカルが見せてくれたのは……。
2018年度の日本一決定戦で配布された《勝利宣言 鬼丸「覇」》だった!
1位-3位に配布され、順位ごとに異なるデザインが用意された、正真正銘世界に1枚ずつしかない3枚のカード。
日本一決定戦の上位入賞者に特別なカードが配布されるのは、DEMOカード以来のこと。ライカルはそれら、2つの唯一無二を手にしたのだ。
記憶が正しければ、入賞選手たちが「3枚セットで700万円」という価格で買い手を募集していたはず。もはやデュエル・マスターズの値段とは思えないが、購入する人物がいたとは……。
「昔は、プロモーション・カードにはそこまで興味を持っていませんでした。でも大人になって、金銭的に余裕が出てくると、集めたくなっちゃいますよね」
軽く言うライカル。だが彼がコレクションに投じた金額はトータルで……いや、考えるのはやめておこう。
「これでもまだ、全てのプレートやカードを集め切っているわけではないんですよ。抽選で配布された《龍の極限 ドギラゴールデン》の金プレートなんかは所持者が分からず、交渉すら出来ていません。もしお持ちの方がいれば、自分のTwitterアカウントまで連絡をいただければと!」
彼のコレクション欲は、底知れない。
ゲームとの付き合い方
《勝利宣言 鬼丸「覇」》を手にしたライカルだが、同様のプロモーション・カードは今年度の日本一決定戦でも配布されるだろう。その為に、ランキングを走る気はあるのだろうか。
「自分としては、GPや超CSに出場して、全国大会を目指すにとどめる予定です。
カードゲームとの付き合い方って、色々あると思うんです。競技的に遊びたいからといって、必ずしも全てを捧げるような努力をしなければいけないわけじゃない。ランキングで上位を目指しても良いし、大型大会で優勝を目指すだけでも良い。自分に合った方法で取り組むのがベストだと感じます」
でも、とライカルは続ける。
「正直、今の若い子たちが羨ましくないと言えば嘘になります。彼らは本当に恵まれている。
自分が力を入れていた頃、全国大会に進めるのは8人から16人。出場方法も、ほぼエリア予選だけでした。
でも、前回の全国大会は40人が参加できたんでしょ。参加権利を取るための方法も複数用意されていて、昔とは全然違う。プロも増えつつあるし、努力が認められる時代になったなーと。
全力を出せる環境にいる人たちは、全力を出し切って悔い無く遊んで欲しいですね」
あとがき
今回は、本編でライカルが発したフレーズ、「恵まれている」について話をさせていただきたい。
かつて、競技デュエル・マスターズの環境は決して恵まれているとは言えなかった。黎明期のエリア予選に参加する為にはハガキでの応募が必要で、抽選に漏れれば勝負の土俵に立つことすら出来ない。おまけに最初期の各エリア予選の定員は、ほとんどが64人。開催エリアも、現在よりは少なかった。
複数会場への参加が禁じられていなかった為、強豪たちは片っ端から応募ハガキを送り、各地を転戦していたという。
この抽選方式は、全国大会が開催されなかった2007年を挟み、2008年まで続いた。
権利戦方式になったのは2009年から。2008年は全国で8人しか選出されなかったエリア代表も、時代の経過とともに少しずつ増加。
そして2015年にはGPが開催され、エリア予選以外の方法で全国大会への参加が可能となった。エリア予選にスイスドローが導入されたのもこの年からで、現在に続く競技大会の基礎が出来上がったのだ。
2017年からはランキングが導入され、上位に全国大会の出場権が付与されるように。2019年からは超CSの上位入賞者にも全国出場権が与えられると発表されている。
ここ数年で、競技シーンは劇的な発展を遂げた。かつてを知るライカルの「羨ましい」という言葉は本音だろう。
発展の背景にあるのは、有志による活動だ。
不死鳥編の不振からか、全国大会のなかった2007年。愛知で初めてのCSが開催された。最初は年に数回だったCS開催数も、ランキング導入直前の2016年には年間300開催を超え、2018年には1500開催に達した。
現在はいざ知らず、2010年代前半のCSは必ずしも利益の出るイベントではない。赤字の運営チームも多かったと聞く。
そんな時期にCSを開くライカルのようなプレイヤーたちは、「デュエル・マスターズが好きだから」という理由だけで、他の選手のために活動してくれていた。
彼の最後のコメント、「全力を出し切って悔い無く遊んで欲しい」には、そうした経験から来る感情が詰まっている。
「今」を生きるプレイヤー諸兄は、「今」を遊び尽くしていただければ幸いである。