デュエルマスターズ │ プレイヤーインタビュー │ イヌ科選手

By 安田 悠太郎

 

2019年10月5日、土曜日。約2000名が参加した9回目のGPで頂点に立ったのは、調整チーム・マラかっちの総力を上げて開発された『青黒カリヤドネ』だった。
それを持ち込んだ選手の名は、イヌ科

彼は、いくつかの顔を持っている。
まずは、プレイヤーとしての顔だ。現在は、CardRushProsのdottoと同じく調整チーム「マラかっち」に属している。
チーム調整の結晶が、GP9thで使用した『青黒カリヤドネ』であることは有名だろう。

そして、CS運営。
初めてジャッジを務めたのは、2015年の寝屋川CSでのこと。以降も様々な立場でCSの運営を経験している。
なかでもよく知られているのは、カバレージライターとしての活動だ。2017年からいくつかのCSでライターを務めるようになっており、2018年の3月からは公式カバレージライターとしても活動している。
彼が公式ライターとして初参戦したのは、2017年度日本一決定戦。そこで書いた準決勝のカバレージは当時、絶賛された。

現在はと言えば、Youtubeチャンネル「けみくろ放送局」に準レギュラーとして出演中。「カメラの前でしゃべる」という初めての体験に苦労しつつも、友人が設立したチャンネルのために奮闘している。

一つのジャンルにとどまることをよしとせず、新しい挑戦を欠かさないイヌ科。彼の物語を伺うと、その背景には様々な人物とのつながりが見えてきた。

■プレイヤープロフィール

・年齢:25歳(1994年度生まれ)
・活動地域:大阪府
・公式戦績:GP9th 優勝
・所属:マラかっち
・その他:登録者数16000人を超えるYoutubeチャンネル『けみくろ放送局』に不定期出演中

■遅れてやって来た男

「僕、周囲と比較すると、デュエル・マスターズを始めた時期は遅いんですよね。確か、2013年かな。E3ブロックからだったと思います」

イヌ科は、自身の起源をそう振り返る。
2013年と言えばもう、7年前だ。それでも遅いと彼は言う。読者の方の一部は、違和感を持たれるかもしれない。
だが競技シーンを見渡してみれば、彼の言うことは良くわかる。

本連載で取り上げた競技シーンの有名選手たちは、その多くが「小学生でデュエル・マスターズに触れて、その後に離れる→高校生〜大学生にかけて復帰」というルートを辿っている。
必然、最初に触れた時期を問えば「DM-01から」だとか、「2003年から」といった答えが返ってくるのだ。
(※デュエル・マスターズ初の商品であるDM-01が発売されたのは、2002年5月30日)

友人の多いイヌ科は当然、そうした事情を知っている。このゲームのプレイヤーの継続期間は、存外に長いのだ。

2013年の、冬が終わりを告げて季節が春に移り変わる時期。高校を卒業するかしないか、そんなタイミングで、受験を終えて余暇ができていた友人から「デュエル・マスターズをやってみないか」とイヌ科は誘われた。

「最初に組んだデッキは、あり合わせのカードを寄せ集めた『オール・イエス』でしたね。
始めたばかりだから、とにかくカードが足りなかったんです。《超次元シャイニー・ホール》を採用していたんですけれど、《時空の雷龍チャクラ》を持っていなかったりとか。
なぜか《時空の不滅ギャラクシー》だけは持っていたので、それだけ入れてデュエルロードに出ていました」
(※デュエルロードとは、当時の公認大会の名称。現在のデュエマフェスに相当する)

資産の足りないイヌ科が手を出したのは、ネット上の対戦サイトであるDM vaultだった。
イヌ科は高校時代、遊戯王の対戦サイトであるエターナル・バトルで遊んでいた経験がある。デュエル・マスターズにも同じものがないかと探し、見つけ出したのだ。
(※エタバトは2012年11月30日に閉鎖)

現実と違い、vaultではどんなデッキでも組むことができる。

「誘ってきた友人に勧められて、最初は『ラムダビート』を組みました。でもこのデッキは難しくて、あまり初心者向けではなかったですね。難しいゲームなんだな、と思いました」

「デュエル・マスターズに対する印象が変わったのは、その後。『黒緑次元』に出会ってからです。
なんたって、『解体→勝利→キルキル』と動けばそれだけで勝てるんですよ。このデッキを使って得られた勝利体験がきっかけで、このゲームにハマりました」

イヌ科は、コロコロをきっかけにデュエル・マスターズを始めたプレイヤーではない。必然、小学生時代の思い入れというやつもない。
彼を惹きつけたのは、勝利の味だった。

その体験を踏まえ、初心者にとって重要なのは勝ちやすさだとイヌ科は語る。

「初心者にとって良いゲームって、誰でも勝てるゲームだと思うんですよ。勝てるゲームはとっつきやすい。環境の中に1つでいいから誰が使っても勝てるデッキがないと、そのカードゲームの人口は増えないのかな、と思います。
現代デュエル・マスターズで言えば、『ドッカンデイヤー』がそれでしょう。最近、《U・S・A・BRELLA》が出ちゃったので、ちょっとだけプレイングが面倒になりましたが……初心者向けのデッキだと思いますよ」

「同じ理由から、自分はカードパワーのインフレを受け入れています。誰でも勝てるデッキには、強力な新カードが必要ですからね」

■ネットでの出会い

そうして公認大会とvaultで遊び、大学1年目を過ごしていたイヌ科だったが、最初はなかなか知り合いが増えなかった。

転機となったのは始めて2年目、大学2年生のとき。ZweiLanceが、唐突に「通話したい」と申し出てきたのだ。
当時、ZweiLanceは北海道にいた。一方のイヌ科は大阪。面識があるはずもない。ネット上ですら、会話したこともなかった。

「当時、理由がわからなくて、ZweiLanceに聞いてみたんです。そうしたら、復帰したばかりで何もわからないので環境を教えてほしい、と。
あのときの自分はまだ、ゲームを始めて一年。大してうまいわけでもなかったし……ほんとに、なんで自分だったんでしょうね」

首を傾げながらも生来の人の良さを発揮したイヌ科は、ZweiLanceに持てる限りの知識を渡した。

その縁で、のちにZweiLanceとともにYoutubeチャンネル「 フェアリープロジェクト/ FairyProject」を運営するフェアリー、関東の有名調整チーム「Heaven’s Dice」のリーダーになる◆斎藤、同じくvaultプレイヤーの納豆らと知り合った。

同じ頃、通うショップを高槻市の店舗に変えた。大会もそこで出場するようになり、近場のプレイヤーとも交流が増えた。そこには現在、マラかっちと呼ばれる面々も含まれていた。

「新しくできた知り合いたちの中で、一番DM歴の浅いプレイヤーが自分でした。まだ、始めて一年ちょっとでしたから。
当時を振り返ると、もうプレイはミスるわ構築は迷走するわで……下の下って感じでしたね。プレイも構築も、周囲に引っ張ってもらっていた印象が強いです」

■競技シーンへの本格参戦

イヌ科が初めてCSへ参加したのは、デュエル・マスターズを始めて2年目のこと。2014年5月6日に開催された第2回プラスワンCSが、彼の初出場イベントだ。このときの記憶はほとんどない、とイヌ科は苦笑する。

「結果は、ボロ負けでした。使ったデッキも覚えていません。記憶にあるのは出場したことぐらいです。(当時の大会結果を見ながら)あ、Top8に雷鳴神が入賞してる……うわー懐かしい」

雷鳴神
E3期の関西エリア予選に『墓地ソース』を持ち込んで優勝し、エリア代表となった選手だ。その後の日本一決定戦では、Top4入賞を果たしている。

E3と言えば2013年、つまりイヌ科がデュエル・マスターズを始めた年だ。エリア予選、そして日本一決定戦の結果に影響を受けないわけがない。

「関西エリア予選の決勝カードは、雷鳴神 VS 鮭さんだったんですよ。僕は鮭さんとは面識があって、上手いプレイヤーだと思っていたので、じゃあその人に勝った雷鳴神も当然、強いだろうと。頑張って話しかけたりして、なんやかんやで仲良くなりました」
(※鮭さん……鮭くれーぷ選手のこと。のちにMtGへ転向し、本名のMasahide Moriyama名義で活動中。戦績は、MTG日本選手権2018優勝、ワールドマジックカップ2018ベスト8など)

雷鳴神が東北のUMEBAの影響を受けていたこともあり、当時のイヌ科も うめーばブログの熱心な購読者となった。

「あの頃に使っていた構築でよく覚えているのは、《光器パーフェクト・マドンナ》入りの『ドロマーハンデス』です。のじぎくCSに持ち込んだりしましたね」

プラスワンCSの結果にめげることなく、イヌ科はその後もCSへの出場を続けた。

印象に残っている出会いが、2つある。

1つは、ウスラトンカチとの出会いだ。年下だったが、教わることが多かったとイヌ科は振り返る。

「一番、思い出深いのは『猿ループ』のことです。
2017年当時、『猿ループ』の結論は2つあって、1つはハザマがGP4thに持ち込んだ型。これは『モルトNEXT』に有利だったので、関東で流行していました。
もう1つが《フィーバー・ナッツ》を4枚入れたウスラトンカチの型。非常に完成度が高く、48枚のリストに1枚も変えてよい枠がなかったので、自分たちは『宇宙』と呼んでいました」

その構築をシェアしていたプレイヤーの中で、唯一のvaultユーザーがイヌ科だった。
当時の彼は独自のレーティングシステムを持つvaultの大会に『宇宙』を持ち込んで勝ち星を重ね、極めて難しいとされるレート2200超えを達成している。

「このデッキを通して、デュエル・マスターズの勝ち方を1つ学びました。それは勝ちたければコンボを使えというもの。
DMには非常に多くのデッキタイプがありますけれど、大別すればビート、コントロール、そしてコンボの3つに集約されると思うんですね。その中で、ビートはどうしてもS・トリガーに左右されるし相手の除去による干渉も受ける。コントロールも、ゲームの速度が上がるごとに勝ちづらくなる。
でも、コンボはそうした影響と無縁です。だからコンボデッキが最強なんです」

この後、イヌ科はコンボデッキである『チェイングラスパー』を使い、当時のvault最高レートである2235を記録。その翌日には同じデッキをCSに持ち込み、人生で初めて優勝した。
最初に『オール・イエス』を組んでいた男の結論は、コンボ。その気づきを得るきっかけになったのが、ウスラトンカチとの出会いだったのだ。

もう一つの印象に残っている出会いは、チームへの加入だ。
イヌ科は2017年、のちにCardRushPros入りするおんそくや、現在、けみくろ放送局に不定期出演中のVのもれらとチーム「DMAP」を結成。
同じ年、雷鳴神が率いるチーム「Mystic Plant(ミスプラ)」へ、Vのもれととともに移籍している。

「当時は自分たちの周辺だけでなく、DM界隈全体でチーム文化が活発だった時期でした。
ミスプラは、DMから離れていた雷鳴神が復帰した際に、彼の考える最強チームとして作った集団です。
初期メンバーは、うどん、HARUくん、タピ、コタ、25。あとから自分とVのもれ、LEI、よざくら、ふうきが加入しました。
ところが、途中で雷鳴神がまたもやDMから離れてしまったんですよね。あいつ許せねぇ。それで、HARUくんが跡を継いでリーダーになりました」
(※HARUくん……2018年度日本一決定戦で優勝したギラサキのこと。ミスプラ結成当時は「HARU」名義で活動していた)

「現在のミスプラは……いまチームLINEを見たら、2018年の8月27日で止まっていますね。
自分を含む何人かのメンバーが就職して環境が変わってしまい、チームとしては自然消滅した……んだったと思います」

人との出会いをきっかけに様々な経験を積み、腕を上げてきたイヌ科。そんな彼にGP9th優勝を果たさせたのが、マラかっちとの遭遇だった。

■通話集団マラかっちとの出会い、そしてGP9th優勝

GP9thを経た現在でこそ強豪チームとして知られ、ときには加入を希望される存在となったマラかっちだが、結成当時はただの通話グループ。元を辿れば、かつてCS4連覇で知られたみさいるずが主体となっていた集まりなのだが、当のみさいるずは離脱している。
ゆえに2018年ごろまでは調整などしておらず、イヌ科とtakiがvault大会に出ているぐらいだった。

それが変わったのは、2019年に◆ドラえもんが加入してからだ。

「ドラちゃんは、とてつもなくデュエル・マスターズの相手が欲しかったんですよ。比喩ではなく、文字通り狂おしいほどの情熱ってやつを持っていました。
そんな人間がマラかっちに加入してきた以上、メンバーが無傷で済むわけはなく。みんながvaultでドラちゃんの相手をする羽目になって……結果的に、DMをプレイする人間が激増しましたね」

◆ドラえもんがやってきたあと、更にうどんユーリが加入。また、元からいたメンバーである25が、平城CS主宰であるSabakiを追加した。

「特にインパクトが大きかったのは、ユーリの加入です。彼はビルダーとしてトップクラス。18歳とは思えない才能を持っています。
自分が知っている中でのトップビルダーと言えば、HARUくんかユーリだと思います」
(※マラかっちのメンバーを全員紹介するには紙幅が足りないため、少し古い記事とはなるが、北のあーさんのnoteをぜひ参照してほしい)

2019年の夏。強力なメンバーを抱えたマラかっちは、GP9thへ向けて動き出していた。
彼らが抱えていた案は、2つあった。

1つは、『青赤緑ミッツァイル』だ。これはユーリがビルドしたデッキで、本人も絶大な自信を寄せていたという。
が、ちょっとした行き違いからユーリのリストがネット上で公開されてしまい、あえなく使用不能となった。

GP9th当日、ライターとして会場にいた筆者が見て回った限りでは、『青赤緑ミッツァイル』を持ち込んだプレイヤーは3割近かったのではないかと思う。このゲームにおいてシェア3割というのは、即ちトップメタであることを意味する。

マラかっちはGP9thにおいて、Top3へイヌ科とよしゆきの2人を送り込んでいる。
もし『青赤緑ミッツァイル』が当日まで隠匿されていたら、どうなったか。Top3の3人ともがマラかっちということだって、あり得たかもしれない。

そして残る1つの案が、ご存知『青黒カリヤドネ』だ。

「『青黒カリヤドネ』開発の中心となったのは、かっちさんです。
彼は、オリジナリティを追求するタイプ。誰も使っていないカードやギミックを見つけては、デッキとして仕上げることに楽しみを見出しています。
マラかっちでは” ゴミ拾い “と言われるその作業が珍しく成功し、出来上がったのが『青黒カリヤドネ』の原型でした。8月の出来事ですね」

かっちによって見出され、GP9th前日まで調整が続いた『青黒カリヤドネ』は、リストの完全な隠匿に成功していた。おまけに、『青赤緑ミッツァイル』にも有利がついていたのだ。

「そのせいで、マラかっちはわざと『青赤緑ミッツァイル』を流出させてメタゲームを操ったに違いない!なんて言われましたけど、そんなことないです。偶然ですよ」

GP9th当日、『青黒カリヤドネ』はまさしくソリューションだった。持ち込んだマラかっちメンバーの中で、イヌ科は優勝、よしゆきも3位に入賞し、全国大会への参加権を手に入れている。

GPのTop3に、2人。マラかっちは、過去に存在した調整チームの中でもっとも成功した集団と言ってしまって良いのかもしれない。
彼らが到達した『青黒カリヤドネ』は、それだけの価値があるデッキだった。

「とは言っても、『青黒カリヤドネ』に気付いていたのは自分達だけではなかったみたいですけれど。終わってからわかったんですが、レッドさんたちも練りこんでいたらしいんです」

レッドとそぉいの調整チーム「神トラ」もまた、『青黒カリヤドネ』の存在に気づいていた。だが、彼らは入賞していない。
そのことについて、レッドは自身のブログで以下のように記している。

リストが悪かったのか? そうだとは言い切れない。
プレイヤーが悪かったのか? その側面は大いにあるだろうが、それだけとも言い切れない。
引きが悪かったのか? 引けないのは構築が悪いか、そこまでのプレイが悪かったかのどちらかだ。対戦相手に理不尽なぶん回りを喰らったわけでもない私には、口が裂けてもそんな事は言えない。

結局のところ、全てが少しずつ足りなかったのだろう。神になるはずだった私は、命からがら8回戦までを戦い抜いたのち、失意のうちにGPの戦場から去った。

ところがどうした。準々決勝で。準決勝で。決勝で。私達が目指したあの舞台で、戦っているこのデッキは、いったい何だ。

彼らは勝った。そして神になった。私は、私達は、神になれなかった。

現代の競技デュエル・マスターズの過酷さを現した文章だと思う。

新しいアーキタイプであっても、まったく別の場所で別の人間が、同時に発見することはある。
だから、新たなアーキタイプの存在に気づいただけではダメなのだ。いまの競技デュエル・マスターズには、その先がある。手探りで組み上げた52枚(あるいは60枚)の原型を、理想の52枚へと磨き上げていく作業が。

それを成し遂げたマラかっち、そして大舞台で優勝を果たしたイヌ科を、改めて讃えたい。

■カバレージライター:林直幸/イヌ科

イヌ科はGP9thでの優勝によって、史上初めて公式ライターとして全国大会出場を決めた存在になった。
(※全国大会出場経験のあるライターとしては既にThunders#36がいるが、彼は出場後に公式ライターとなっているため、イヌ科とは順序が逆)

決してその数が多いとは言えないカバレージライター。イヌ科がライターとして活動し始めたきっかけは何だろうか?

「初めてカバレージを書いたのは、2016年。関西エリア予選の決勝戦を題材に書きました。と言っても、このときは公式ライターではありません。
『けみー VS すとーむΦ』という決勝の組み合わせがすごく良くて。両方とも知り合いだったんで、どうしても何か書きたくなっちゃったんですよ」

その初カバレージがこちら。

革命ファイナルカップ関西A決勝 けみーvsすとーむ テキストカバレージ

ユーザーが公式ライターとして活動した最初の事例は2017年の超CS in熊本なので、2016年当時はまだそうした道は示されていない。
イヌ科は特に打算も持たず、純粋な情熱のみでこれを書き上げたわけだ。

「この後、すがさんにお願いして、2017年の5月にのじぎくGW最強決定戦でカバレージを書かせていただきました。続いて、同じくすがさんの楠CSでも書かせていただきまして。
そうしたら、2017年のエリア予選で川崎さんから『全国大会で書いてみないか』とお声がけいただいたんですね」
(※川崎大輔……もともとMtGでライターとして活動しており、世界選手権をはじめとした様々な大会のカバレージや記事を書いていた人物。2007年の極神編から、デュエル・マスターズにも「開発主任K」名義で携わっている。2015年のGP1stから始まったテキストカバレージでは、ディレクターとして中心的な役割を担う)

エリア予選の少し前、GP5thではライター募集が行われていたのだが、そこには「GPは選手として出たいから」として応募しなかったイヌ科。
が、エリア予選であえなく負けてしまったため、まあ出ないからいいかと2017年度全国大会へのライター参加を決めた。

そして迎えた全国大会。彼は、準決勝において発生したdottoとピカリの同門対決のカバレージを担当する。
このカバレージは公開直後から高く評価され、川崎からは「石板に彫って後世に残すべきだね」との賛辞が寄せられた。
それに対して狂喜乱舞するでもなく「僕の友達に石屋がいるんで、彫ってもらいましょうか?」と、トボけた答えを返していたのがまたイヌ科らしい。

翌2018年も、もちろん全国大会のカバレージを担当。他、GPや、地元関西のはっちCSでもカバレージを書くようになる。
けれど、2019年度の全国大会にはライター参加しない。今度のイヌ科は、書かれる側だ。

「自分がカバレージを書くときは、少年漫画的なアツい構成になっているかどうかを気にしています。
今度は書かれる側に回るわけですけれど、アツい構成に合うようなエモい存在でありたいと思っています。少年漫画の心を忘れちゃダメです」

「あとは……全国大会って個人戦ですけれど、チーム戦でもあると思うんですよね。調整チーム的な意味で。
自分たちマラかっちがそうですし、あとは関東のTIGHTやハザマたちのヘルペンタゴンとか、ヨーカンさんのしたい会とか。関西にもHARU一派がいます。そうした面々が総力をあげて戦うチーム戦、という部分もあると思うんですよ」

「『青赤緑ミッツァイル』と『青黒カリヤドネ』の話じゃないですけれど、やっぱり現代の競技デュエル・マスターズって情報戦の側面が強いと自分は考えているので。個々の選手の頑張りはもちろん、チームとしての努力にも目を向けていただけると、より全国大会を楽しめるかなと」

調整チームの全員が、全国大会に出場できるわけではない。見えないところで頑張っている彼らの努力を知れば、イヌ科の言う通り、一層、競技シーンを面白く感じられるだろう。

■これまでとこれからのイヌ科(これイヌ)

選手からライターまで、競技シーンにおいて様々な立ち位置から活躍してきたイヌ科。だが現状、コロナウィルス の影響で2019年度全国大会開催の目処は立っておらず、同様にGP10thの開催も不透明なままだ。

そして4月14日には、CSサポートの無期限休止が公式から発表された。競技シーンがどうなるかは、誰にもわからない。

そんな現在の状況を踏まえ、イヌ科はどうしていくつもりなのか。
そう聞くと、「一言で言えば、生涯現役!👴」との回答が返ってきた。

「自分はいろんなことに興味を持つタイプなんです。短期的に何かに熱中しては、また別の何かにどハマりして……ということをこれまで繰り返してきました。
飽きずに続けられたのは、デュエル・マスターズぐらいですね。様々なものを内包するコンテンツで、いろんな角度から遊べるからこそ、いままで続けられたのかなと思います。この調子で、新しいことへの挑戦を継続できればなと」

「直近は、友人が運営するYoutubeチャンネル、『けみくろ放送局』に不定期出演させていただいてます。カメラの前でしゃべるのは不慣れですが、何事も挑戦なので」

けみくろ放送局は、けみーと黒ろんが運営するチャンネルだ。dottoやVのもれ、ZweiLanceらもたびたび出演している。

「経験が少ないこともあって様々なコメントをいただいていますが、それを踏まえてクオリティを上げられればと前向きに捉えています。
カバレージもそうだったし、プレイヤーとしてもそうなんですけれど、『いま興味があることをゆるく頑張る』のが自分のスタイル。これを続けられれば、それが何よりですね」

イヌ科がデュエル・マスターズを始めてから、約7年。現在の彼は、公式ライターとして活動するようになり、GPで優勝し、日本一決定戦への出場を控え、そしてYoutubeへと活動の場を広げようとしている。
好奇心旺盛な彼は、きっと今後もあらゆる場所で挑戦を続けるだろう。

■あとがき

イヌ科選手と初めて会ったのは、GP6thのときでした。晩飯のときにたまたま「イヌ科選手、Tomizawaさん、鐘子、ぼく」の4人席になり、自己紹介を含めて軽く会話したことを覚えています。

彼とはやや世代がズレている(自分が競技DMをプレイし始めたのは2010年ごろです)ので、それまでは交流がなかったのですが、カバレージをきっかけにちょこちょこ会話するようになりました。

ぼくから見て、イヌ科選手の「すごいな」と思える部分が2つあります。

1つは、「居ても立ってもいられなくて初めてカバレージを書いた」というような部分。
書きたいから書きたいように書く。文字にしてみればそれだけのことなんですけれど、それだけのことが案外、大変なんです。

今って、どうしてもいろんなものが数値として出ちゃいますから。テキストだったら、PVとかRTとかいいねとか。そうしたものを意識しすぎることなく「書きたいから書きたいように書く」ことって、難しいんです。
結構ね、「需要があるなら書く」とか「読まれてないからもう書かない」になりがちなんですよ。こういうの。
だから、そのラインを乗り越えて情熱を表出させ、アクションを起こす彼はすごいなーと思って見ていました。

もう1つは、積極的に他人の心配ができること。
内容的にインタビュー本文からは削ってしまいましたが、彼は知人の境遇を「大丈夫かな、心配だな」と気にかけるところがあるんですよね。
いやいやそんなの普通じゃんって思うかもしれませんけれど、経験上、インタビューという場で自分と全然関係ない話題を持ってくる人って珍しいんです。それも、他人の心配だなんて。きっと、普段からそういう思考が頭の片隅にあるのでしょう。
イヌ科選手、ああ見えて(?)かなり気を使うタイプなんですね。

さて。
いま挙げた2つの長所があれば、何かのリーダーとしてもやっていけるんじゃないかなーとぼくは思っています。
この手の特性って、後から獲得するのが難しいので。もちろん、まだ経験を積む必要はあるでしょうけれど、将来的にはカバレージチームとか率いてみてほしいですよね。ぜひとも。

心から応援しています。

おまけ:イヌ科選手の思春期の終わりを掲載します。

– サムネイル画像はデュエルマスターズ公式カバレージより引用いたしました –

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