デュエルマスターズ │ プレイヤーインタビュー │ ミノミー選手

 

By 安田 悠太郎

競技の舞台から去る選手がいれば、新たに競技シーンのトップへと躍り出る選手もいる。ミノミーは、新星の1人だ。
2019年度からDMPランキングのポイントを稼ぎ始め、8月17日に行われた超CSIII in山形では、青魔道具を持ち込んで優勝を果たした。
8月28日更新のランキングでは、彼のポイントは25810pts。2位に4000ptsの差をつけた、文句なしの1位だ。昨年度のランキングであれば、既に6位に相当する。

突如として競技シーンの最前線に現れ、” 青魔導具の男 “として名を馳せたミノミー 。彼の物語を聞いた。

■プレイヤープロフィール

・年齢:26歳(1993年度生まれ)
・活動地域:北海道→東京都
・公式戦績:超CSIII in山形 優勝

■デュエル・マスターズとの出会い、競技への参戦

ミノミーがデュエル・マスターズと出会ったのは、小学3年生の時。この年代の選手にはよくあることだが、中学生ごろまでプレイを続け、そして遊戯王に手を出している。

「始めたのは、コロコロに連載されていた漫画がMtGからデュエル・マスターズに切り替わった時だから……2002年ですね。周囲の友達と遊んでいたんですけれど、中学進学と親の転勤が重なって、友達と離れてしまって。それで一旦、デュエル・マスターズから離れてしまいました」

「中学を出てからも、何度か遊んだりはしました。が、完全に復帰したのはGP1stの直前でした。CSの結果を追ってデッキを組んで、弟と対戦……という形で遊んでいましたね。
GPは、2ndが初出場。その後、5th以降は全て出場しています」

CSやランキングには、そこまで興味を抱かなかった。2018年のCS参加回数は9回。
そんな彼を奮い立たせたのは、弟だった。

「DMPランキングで上位100位以内に入ると、プレイマットが貰えるじゃないですか。それで、北海道の弟がマットを目指して、2018年度のランキングを走っていたんです。
結果は102位で、わずかに届きませんでした。もっとも、北海道は東京や大阪と比べてイベント数で劣りますし、ポイント倍率も低い。そんな状況の中での102位は、決して悪い結果ではないと思います」

もっとも、結果は結果である。プレイマット獲得には至らなかった。
そのとき、ミノミーの中である考えが頭をもたげた。

「自分が全力で走ったらどうなるんだろうって、思ったんです。北海道の弟が102位になれるのだったら、東京にいる自分が頑張ったらどうなるんだろうって」

仕事との兼ね合いもあり、東京に来てからCSに参加した回数は多くない。一見、無謀な挑戦ではある。
この時、ミノミーの背中を押したのは、弟の結果だけではなかった。
彼の胸中には、情熱が燻っていた。

「それまでGPに出る時は、直前の1週間を調整という名のフリーに充てる程度の努力しかしていませんでした。当然、対戦する相手のデッキが何をしてくるのか全然わからない。大会ではプレイミスばかり。ずっと、悔しかったんです。昔はこんなミスなんてしなかったのにって……」

ミノミーは、ランキングへの本格参加を決意する。

■魔道具との出会い

当たり前だが、決して最初からうまくいったわけではない。

「まずサバキZを触ったのですが、当時の環境には黒緑ドルマゲドン、チェンジザドンジャングル、バラギアラなどが多数存在。環境に適合しておらず、不向きだと判断して使用を控えました」

「次に白赤轟轟轟やミッツァイルなど環境トップを使ってみましたが、0-2を経験するなど惨憺たる結果に。速攻系統は自分と相性が悪いと理解しました」

転機となったのは、GP8thだった。

「東北のペン山さんと対戦したんです。その時、プレイスタイルが自分に近い、という印象を受けました。それで、ペン山さんが選んでいたデ・スザークを使ってみることにしました。デ・スザークはばんぱくさんも使っていて、高いアベレージを残していると知っていましたしね」

「自分はもともとコントロールが好きで、昔はボルコンを使っていました。環境の移り変わりがあったのにもかかわらず、Mロマノフなど相性がよくないアーキタイプが多い時期でもボルコンを5年以上使い続け、多数結果を出しました」

いわゆるトーナメントプレイヤーは、その時々の環境に応じてデッキ選択を変えることが多い。同じデッキを使い続けるのは少数派だし、5年以上ともなればなおさらだ。
ミノミーは、自身のプレイスタイルに適したデッキを極めることに長けた、希少なタイプの選手と言える。。

そして迎えたデ・スザークの初陣、4月30日の第5回所沢CS。ミノミーは優勝を果たす。
5月12日のトレカマーケットCSでも、優勝。
明らかに、流れが変わった。

「自分の感覚ですけれど、20〜25回ほどCSに参加して、ようやく1回優勝できるものだと思っていたんですね。それまであまり良くない戦績だったこともあって、ただの上振れかなと思っちゃいましたけれど……」

誇る素振りの無いミノミーだが、デッキ選択を変えた日を境に勝率が上向いたのは事実だ。
ペン山との対戦から謙虚に学んだ事実が、彼を勝利に導いた。

7月1日の殿堂施行後からは、デッキを青魔道具に変えた。もともとは2ブロックのCSでだけ使っていたが、超ガチCSのサブイベントに持ち込んだ際、殿堂に通用することを見出した。

「2ブロックだと《卍 新世壊 卍》が警戒されていて、破壊されやすいんです。けれど、当時の殿堂環境では違った。行ける、と思いました」


読みは当たった。7月のトレカマーケットCS、茨城CSで連続優勝。7月末から8月頭にかけて4日連続で開催されたWINNERS CSでも、2度の優勝を果たした。
そして勢いそのままに超CSIII in山形で優勝したことは、みなさんがご存知の通りである。

■ミノミー式のビルドと調整

デ・スザークや青魔道具は、いわゆるTier1と呼ばれるアーキタイプではなかった。彼はこれらをどのように見出し、優勝レベルの構築へと育て上げたのか。

「母数が少ないにも関わらず、一定の結果を残しているアーキタイプへ着目することが重要だと考えています。
2月の末ぐらいに殿堂のCSに出た際、青魔道具を使うプレイヤーに負けました。そこで良く周囲を見てみると、青魔道具は持ち込む人間が少ないにも関わらず、使用者の予選抜けの確率は高かった。あとでそのことを思い出し、試してみようと考えたんです」

そうしたデータは、実際に大会に参加しないと分からない事が多い。

「自分はネットで大会結果を良く見るんですけれど、それだけではダメで。使用者の少ないデッキの情報はネットに上がりづらいので、現地に行って確かめる必要があります。大会結果を見るときも、優勝リストよりはデッキ分布を見るべき。
母数が少ないにも関わらず使用者がいるデッキは、使われるだけの理由があるはずです。その理由を考え、突き詰めると勝てるようになる。
使用者の少ないデッキはミラーマッチがほとんど発生しませんから、そうしたデッキを採用すれば、他人よりも有利になります。マイナーなデッキをいかに使いこなすかが重要です」

情報を重視するミノミー。対人の調整に割く時間は、そこまで多くはない。

「1人回しの過程で引っかかる部分をどんどん無くしていく作業が、いわゆる調整に相当するのかな、と思います。
他には、動画。フェアプロさんの対戦動画がすごくいい。出演者になりきってプレイの理由を考えるだけで、勉強になります」

既に社会人であるミノミーは、学生ほど自由になる時間があるわけではない。彼にとっては、CSもまた調整の場だ。

「どんなカードにも偏見を持たず、まず使ってみる事が必要です。青魔道具に採用した《H・センボン》はその典型例。
アストラル・リーフ》が解禁された時に、《アストラル・リーフ》と《ヘビー級ヘビー》を組み合わせたデッキをCSに持ち込んだ事がありました。その時、《アストラル・リーフ》の進化元として《H・センボン》を使っていたんです」

「そして青魔道具の調整中、《光牙忍ハヤブサマル》だけでは受けが足りないことに気づいて良いカードを探していた時、《H・センボン》のことを思い出しました。経験が生きた例です」

「《H・センボン》、実は《卍 新世壊 卍》と組み合わせると、回収したシールドのトリガーを使えるようになるんですよね。おまけにシールドの追加は強制なので、《エメラル》と違ってシールドが0枚の状況でも効果が使える。これらも、CSに持ち込んでみて気づきました。
無駄なことに時間を使いたくない!とついつい思ってしまいがちですが、試行錯誤は無駄にはなりません」

■DMPランキングを経験して

年を追うごとに競争が激化するDMPランキング。今年から走り始めたミノミーも、戦いの厳しさを感じ取っている。

「他の方から” 今年の競争の激しさは尋常じゃない “と聞かされました。去年だと、8月ごろの100位ボーダーは4500ポイントだったそうですが、今年は6月の時点で6000越え。とんでもないですよ。
上位10名ボーダーにしても、去年の最終ボーダーが19000ポイントでしたが、今年はもう16000を超えていますから。まだ半年あるのに、ですよ。信じられます?」

既に各所で話題になっているボーダーラインの上昇を、ミノミーも口にした。
彼もまた、ポイントを求めて遠征を繰り返す選手である。平日のCSがあると聞けば、差をつけるために富山や愛知へ遠征した。
遠征費や移動時間など、決してそのコストは安くない。だが、お金には変えられない交流があるとミノミーは語る。

「7月1日、富山で行われたCOMP OFF CSに出場したんですが、終電がなくなってしまって。駅で悩んでいたら、現地の選手の方々に声をかけていただいて……」

ミノミーを拾った彼らは、カラオケへ直行。朝まで楽しい時間を過ごしたという。

「富山の方と関わりを持てて、楽しい時間を過ごせて、本当に良かったです。こうした交流は、倍率の高いイベントだと特に多いので、今後も遠征したいですね」

超CSでの優勝で、全国大会の参加権利は手にした。だが、ミノミーはランキングを走り続ける気でいる。

「7月初旬の僕の順位、106位だったんですよ。遠征はGPでの1byeを獲得するためで、上位に入るためじゃなかった。それが青魔道具で20000ポイントを稼ぎ出し、2ヶ月でランキング1位に。
こうなったら、どこまでポイントを稼げるか試したいんです。ぶっちぎりの1位を狙いたい。
それに、デュエマは楽しいですもん。途中で止める理由なんて、ありません」

戦いの厳しさを認めた上で楽しさを見出し、さらに壁を超えんとするミノミー。新星の挑戦は、どこまで届くだろうか。
きっと彼なら、前人未到の記録をDM史上に打ち立ててくれるだろう。

■あとがき

カードゲームはチーム戦だと言われて久しい。
1つの真理ではある。数の力でメタゲームを解き明かすのは、有効な戦法だ。

今回インタビューさせていただいたミノミー選手の調整法は、そうした手法と対極にある。
大会結果を欠かさず追い、CSに参加してネットの情報にはない細部を確認。空き時間にはFairyProjectの動画をチェックし、一人回しでプレイングの確からしさを検討する。

時には北海道の弟に意見を求めるそうだが、ほとんどの工程を彼1人で完結させている。調整チームには所属していない。
そんな彼が、たった2ヶ月でランキングを急浮上。更に超CSという大舞台で優勝するとは、誰が予想しただろうか。

近年の競技DMでは、彼に限らず、同じデッキを使い続ける選手が上位に増えて来ている。運の要素をはらむゲームではあるものの、長期的には技術力の高い選手が勝つようなゲームになって来ているのだろう。

そんな現代デュエル・マスターズで、文句なしのランキング1位を目指すミノミー選手。彼がどこまで登っていけるのか、楽しみだ。

 

※プレイヤー画像は “デュエル・マスターズ 超CSⅢ テキストカバレージ” より引用しました。

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